□まえがき□
<プロフィール欄>
栂池京信:アトリエ・ツガイケ一級建築士事務所 主宰
都内を中心に個人住宅や集合住宅の設計監理をおこなう。
男性/43歳/独身(離婚歴?)その他プライベートは不明。
※もちろん、架空の人物である。
その他、登場する人物、計画、建築、組織、全て架空のものであります。
□1□
「栂池先生。ひとつ、螺旋階段を計画していただけないでしょうか。」
朝一番。唐突な電話は、不動産管理会社カレッドの糸屋くんからであった。
「SANS_Vilaの103号の部屋です。メゾネットの吹抜け部分にです。」
SANS_Vila は、私が設計監理して3年ほど前に竣工したRC打放しの集合住宅だ。
都内の高台、190m2(57坪)ほどの敷地に6戸のメゾネット住居から成立している。
コンセプトはSOHO(Small Office & Home Office)つまり職住一体型の住居群だ。
計画の相談を受けたのは、いまから5年ほど前であった。
木下田信恵さん、という女性からの依頼。父親から受継いだ土地の有効活用である。
すでに高齢の信恵さんから、息子さん達への相続のことも考えての依頼であった。
私は、将来のライフスタイルの変化にも対応した賃貸集合住宅を提案、次の世代に
受け継いでいける計画を実現させた。現在すでに、長男の光輝氏が管理されている。
カレッドは、その各部屋のテナント仲介と管理業務を専任でおこなっているのだ。
「その 螺旋階段 ってゆうのは、オーナーの木下田さんからの要望なのかい?」
「いえ、新しいテナントさんの株式会社 S_NETZ・曽根谷研社長のご希望です。
設置の費用は‥もちろん栂池先生のフィーも含め、S_NETZで支払うそうです。」
「それでもさ。将来退去するときには 今回設置する螺旋階段は残していく旨を
オーナーとテナントさんとの間でキチンと『覚書』交わしておいてもらってね。」
「心得ております。木下田さまにも栂池先生にも、そこはご安心ください。」
「まあ、それで木下田さんが承諾であれば、私も協力はやぶさかではないけど‥。」
株式会社 S_NETZは、社員3~4名の小さなITベンチャー企業だそうだ。
SANS_Vilaの103号の部屋面積は延で約15坪の広さである。
1階の事務所想定部分は約9坪、2階部分は約6坪。ちょうどいい広さなのだろう。
「ただ、そもそも1階~2階を繋ぐ階段は室内にすでにあるでしょう。」
「2階の天井まで吹抜けている1階打合せスペースを魅力的にしたいそうなのです。
設計された栂池先生のデザインで。きっと建物がとても気にいられたのでしょう。」
「そ、そりゃまた嬉しいねぇ。照れちゃうな。」
S_NETZの曽根谷社長は、SANS_Vilaを愛してくれるテナントさんのようだ。
オーナーにとっても、建築家にとっても、冥利に尽きる有難い出会いである。
スマホをきり、すぐにスケッチに取りかかった。
‥ただ、螺旋階段はどーも好きじゃないんだよな。階段下のスペースが使えなくなる。
設置工事のさいの搬入のこともクリアできるディテールも必要か‥。
それでもランチを挟み、4時間ほどでスケッチは出来上がった。
PDFに落とし込み、馴染みの2人にCCメールを送る。
ひとりは、平林構造事務所の平林顕宗先生。
建物本体が見込む積載荷重にこの螺旋階段は耐えうるのか。念のためのチェックだ。
もうひとりは、鉄骨金物製作の ミツカメ工業の光森剛健社長。
階段製作と設置、見積を直接依頼する。スケッチのディテールも確認してもらおう。
この工事は、新築工事の元請であった麻倉工務店を通すよりもこの方がスマートだ。
作業を終え、足を伸ばしてコーヒーを燻らせているとインターホンが鳴る。
「 ちー。っす! 」
秋元皇太郎くんが、約束の時刻から15分遅れでやってきた。
□2□
秋元皇太郎。独立して3年あまりの若手建築家だ。
主に個人住宅の改修や、店舗設計が得意だという。
「お、イケてんじゃないっスか。この螺旋階段のディテール。」
「塗装工事がいらないよう、溶融亜鉛メッキのドブ漬けの鋼板でつくることにしたよ。
すでにある建物内に設置するので、工場じゃなく現場で組み立てられなきゃダメだ。
それと溶接作業は部屋の中に火花が散るからN.G.だろう。踏板は支柱にポルト留さ。
このディテール、光森さんなら出来るって言ってくれんじゃないかな‥。
それよか『Mプロジェクト』の現場のほうは、どうなんだい?」
「基礎配筋がおわりました。麻倉さんトコの本橋監督に、ホント助けられてますよ。」
『Mプロジェクト』は
そもそもは、建築家紹介サイト・KURASU_03 から依頼の計画案件であったのだ。
なんと昭和の大建築家・西館又蔵設計のアパートの建替計画である。そこを私の策略で、
建主の望月さんと秋元くんとが直接設計契約できるようしてあげたのである。
あの頃は強張った表情をしていた秋元くんが、今ではすっかりタメ口が板についてきた。
ただ私としては、やたらと“先生”呼ばわりされるより、タメ口の方がよっぽど気が楽だ。
「で、今日は『GT5プロジェクト』のほうっスよね。」
「ああ。ここでいったん、作業の進行状況確認しておきたいんだ。」
『GT5プロジェクト』は現在計画進行中の集合住宅計画だ。
『Mプロジェクト』のいはば見返りで、秋元くんに格安で手伝ってもらっているのだ。
計画は、築45年の老朽化した鉄骨3階建アパート『コーポ・ゴトーダ』の建替である。
敷地は、都内の商店街に面する420m2(約127坪)の整形地である。
アパートの持主は五藤田康順、美子のご夫妻。やはり建替の動機は相続のこともあって
である。いま計画の中心で動いてくれているのは、ご子息兄弟のうち兄の潤さん。
私への計画の依頼も、その潤さんからであった。ホームページを見てこられたそうだ。
「栂池さん、この計画では1/50スケールでスケッチはじめてますよね。
いま、建築確認や他の届出申請用に1/100スケールの図面に落と込んでるとこです。」
「わるいね。新しい集合住宅は3階建で見ての通り木造。予算が超・厳しいのよ。
それも初挑戦の木造耐火建築物。木造だと、どしてもディテールから入らないとね。」
予算が超・厳しくなっている要因は他にもあった。
解体するアパートは鉄骨造でアスベストが絡んでいる。解体費用はかなりのものだ。
アパートには、まだ立退いてくれないテナントもいる。立退きの保証も必要だそうだ。
これらに私の設計監理費用も含め、総事業費2億円の中に納めなくてはならない。
それでも融資してくれる銀行さんがいてくれたのは、ありがたい。
カレッドの糸屋くんが、取引先の『すみれ銀行』に話を通してれたのだ。もちろん、
建替後の全22テナントの仲介・管理はカレッドが専任、というのが条件ではあるが。
「元請の工務店さんは、どうなってるんすか?」
「木造耐火は特殊な構法だからね。手慣れた雑賀工務店に声かけた。概算もO.K.だ。」
「建築確認に先立つ届出も、けっこうありますよ。緑の条例だの、清掃事務所だの‥」
「規模からいって『建築物省エネ法』の届出もあるはずだ。すまんなあ、いろいろ。」
打合せにキリがつくと、外は薄暮。
夜桜目当てのひと出が ちらほら。
「どぉ。麻倉社長からの今回の“賄賂”は『シーバスリーガル』だぜ。飲らないか?」
「そっすね。ま、今日はこんなところ、ということで。いっただきまぁす!」
今宵は事務所で男二人、悦に入るとしよう。
□3□
翌日、朝一番の電話は『GT5プロジェクト』の建主である五藤田潤さんからだ。
これが、嬉しくない事態の始まりであった。
「栂池先生、大変ですよ!弁護士事務所から手紙が来たんですよ。
あの『ひあら寿司』の店主夫婦、立退き交渉に『弁護士』を入れてきましたよ!」
電話口からは、潤さんの疲労と狼狽が感じられる。
建替のため『コーポ・ゴトーダ』を解体するのだが、最後まで居座っているテナントが、
この『ひあら寿司』である。立退き条件の交渉を弁護士に依頼して出してきたのだろう。
まっとうな弁護士であれば、公正な仲裁をしてくれるかもしれない。それならよし。
「潤さん、落ち着いて。交渉は代理人として私が当たりましょう。3時に伺いますね。」
五藤田さんご一家四人の住まいは、『コーポ・ゴトーダ』のすぐ近くの一軒家である。
「『ひあら寿司』の店主たち、工事期間中は一旦休業して、新しい建物にまた入居する
ことを狙ってるんです。ホントかどうか、その権利はあるんだそうですよ。」
「休業期間中の補償と、新店舗の内装工事費用を出せっていってるんですね。」
「あの『ひあら寿司』の連中には、もう、つくづく出ってもらいたいんですよ。
因縁はつけてくるし。夜遅くまで客はドンチャン騒ぎで外にゲロ吐いちゃうわ‥。
まあ、もともとウチのオヤジが20年前、うかつに信用して入れちゃったのが
わるいんですけどね。管理会社をいれず、契約書も失くしちゃうし‥。」
「賃貸借契約書はなくっても、条件はありますよね。お家賃は毎月入いってます?」
「そこはしっかりしてるから、逆に文句がいえないんですよ。」
『GT5プロジェクト』実現のための最大のハードル。
それは超・厳しい予算ではなく『コーポ・ゴトーダ』のテナント立退き交渉であった。
五藤田さんご一家はその戦いで、すでにヘトヘトになってしまっている。
「ところで、『ひあら寿司』が頼んだ弁護士からの手紙とは?」
「ああ、これです。」
_______________________________________________________________
「コーポ・ゴトーダ」所有者
五藤田康順 様
「コーポ・ゴトーダ」建替に伴う立退きに応じる条件は下記の事項とします。
ご承諾いただけないかぎり、立退きに応じられません。ご理解申し上げます。
1。建替後の建物に再入居する新店舗の条件
1)新店舗の面積は、現在と同じ32.4m2(約9.8坪)
2)新店舗の賃料は、現在と同じ月10万円
2。金銭保証
1)現店舗を閉鎖し新店舗が開店できるまでの間の 休業補償
240万円(40万円(月売上)×6ヶ月(建替工事期間))
2)新店舗の工事費用 1500万円 (明細は添付の見積通り)
窪山久彦(ひあら寿司)
代理人 弁護士 浦園聖子
つばき総合リーガル事務所_______________________________________________________________
その場で、iPadで検索してみると‥
[ つばき総合リーガル事務所 ]‥!
→主な業務は債務整理、M&A。事務所は虎ノ門。所属弁護士は15名。
‥真面目な法律事務所のようだな。
[ 浦園聖子 ]‥!
→スイスからの帰国子女。名門・永章大学法学部卒業。司法試験は在学中に合格。
卒業後、司法研修を経て6年前から『つばき総合リーガル事務所』に席をおく。
‥仕事できる系の女子! またこのパターンかぁ、やれやれ。
「それから、同封されてた見積書がこれなんですが。」
「・・・・・・・・・ な、な、なですかコレは!」
権利をカサにきて、家主からせびり取ろうという悪意が、あからさまな見積書だ。
「 許さない! 」
□4□
建替え計画作成のため、これまで何度も足を運んでいる『コーポ・ゴトーダ』
敷地内には入っても、その建物内に足を入れるのは初めてだ。
『ひあら寿司』以外の住人やテナントは既に退去していて、廃墟化しつつあるのだ。
弁護士の浦園聖子より、直接話したいと連絡があったのは、手紙から3日後のこと。
場所は『ひあら寿司』店内、時間は金曜日の午後1時。
私は五藤田家の代理人として、潤さんと共に1階の店舗に出向いた。
この界隈では珍しい、回転寿司ではなく、板さんに直接オーダーするお寿司屋さんだ。
ランチメニューもあるが客はいない。非常照明と誘導灯は外してしまったのであろう。
入ると右側に、板場を囲むようにL型のカウンター席が6席。左側に4人掛けテーブル
が4台並ぶ座敷。合計22席。10坪足らずの店に、よくこれだけの席数を入れたな。
板場では、店主の窪山が大きな切り身を黙々と下ろしている。夜の仕込みであろうか。
その前のカウンター席に、紺のパンツスーツを着た弁護士の浦園聖子がすましている。
私たち二人は、その斜向かいの席についた。
「新耐震前の建物だか何だか、来ないかもしれない大地震の為の建替工事ですよね。
この地元で長く愛されている『ひあら寿司』さんには、本当に迷惑なことですよ。」
浦園聖子はファイルを広げるなり、いきなり吠え出した。
「工事で休業させられる期間の補償と、新店舗の広さと家賃はお知らせの通りです。
新店舗の工事費用は、まだ図面がありませので、この店舗の内装と調理設備から
当方と提携関係の業者『横北住建』に見積もってもらっています。内訳は‥ 」
「‥ソ、ノ、マ、エ、ニ! その新しくなるこのお店の工事に関してなんですがね。
浦園先生が想定されている『甲/乙工事区分表』、まず見せていただけませんか?」
「は? コ、こう? な、なんですか・・・」
(‥やっぱりコイツ、こんな初歩的なことも知らないんだ。)
「建主が建物本体の一部として行う工事が『甲工事』。その『甲工事』に加えて、
入居するテナントが行う工事が『乙工事』。原状回復のさいには撤去する部分。
つまり、この『横北住建』の見積は『乙工事』部分の見積ということですよね。
現店舗を参照した見積というのは致し方ないのは分かります。そこで、私が作成
した『甲/乙工事区分表』を元に、この横北住建の見積書を訂正しておきました。
『左官工事』…これは土間工事のことでしょうか?:甲工事。削除。
『電気工事』『給排水工事』『ガス工事』『冷暖房換気工事』:甲工事。削除。
『テント工事』‥外の店舗名が入ったオーニングのことかな?:甲工事。削除。
『木製建具工事』‥トイレの扉1枚が50万円とは思えませんね:減額。5万円。
『板金工事』‥この店舗工事に、到底必要と思えない工事項目:削除。‥ 」
「・・・!」
物凄い殺気だ。カウンター越に、店主の窪山が出刃を片手に睨み付けている。
ただ、すぐに目を伏せた。浦園から、口を挟むな、と言われているのだろう。
「それから専用の厨房機器の内訳ですが。
シンク4台。ガスレンジ。製氷機に食洗機。コールドテーブル。ネタケース2台。
これ全て厨房機器メーカー『シノザキ』の製品ですよね。機器番号でわかります。
『シノザキ』に友人がいたので再見積してもらいましたよ。全て新機種としてね。
360万円計上されていますが、丁度半分の180万円だそうです。ウッカリかな?
これら、全て合わせて500万円。これが乙工事。
新店舗の工事費用:1500万円とあるけど、なぁんでこんなに違うのかなぁ‥?」
「・・・と、とにかく、間違いなく必要な工事の金額です。」
「ま、これは検討してもらうとして。合意書の内容に次の2つを追記してくれ。」
「もちろん、内容によりますが。」
「五藤田さんとしては、あなた方の為だけに32.4m2の新店舗を用意するわけだ。
万が一、あなた方の都合で入居はやめた。となったら、五藤田さんは大損害だ。
その時は営業補償と新店舗工事費用に家賃5年分加え、耳を揃えて返してくれ。
でないとフェアじゃないよな。」
「わかりました、言い方はともかく、これは了解しましょう。」
「もうひとつ。違反建築をつくったら即退去、ということ。
あなたが権利として振りかざす『借地借家法』と同じく『建築基準法』も法律。
そして、あなたはその法律のプロ。この店舗が既に違反状態なのは認識だよな。
新店舗では建築基準法違反を見つけ次第、原状回復のうえ即退去だ。いいな!」
「・・・」
「いきましょう。」と潤さんに声をかけ、席を蹴飛ばし二人で店を出た。
□5□
『ひあら寿司』を出たあと。
五藤田さん宅で、潤さんと少し“作戦会議”をしようということになった。
「栂池先生。今日のところは、どうもありがとうございました。」
「“先生”はやめてよ。さっきは感情的になって恥ずかしかったけど、スッとしたね。」
「連中、これで引き下がりますかねえ。これから、どうなっていくと思います?」
「残念ならが、ボールを握っているのは奴らです。粘り強く交渉していきますよ。」
この時、私と潤さんの頭の中では、同じ“ソロバン”がはじかれていた。
新店舗の工事費用。奴らがフカしてきた1000万円が、そのまま予算オーバーなのだ。
このままでは、『GT5プロジェクト』そのものが頓挫してしまう。
「大丈夫!障害が大きいほど、その建築が完成したときの感動は、ひとしおですよ。」
「栂池さんが、頼りです。ウチら、ちょっと疲れてしまって‥」
「他に考えている手段もあります。浦園弁護士との交渉過程は報告していきますね。」
「元気出してください。」と言い残して、五藤田さん宅を後にした。
「他に考えている手段‥」とは、ハッタリではなかった。
『ひあら寿司』側と締結する合意書の内容以外のこと、つまり五藤田さん側に有利な
項目を、他の必要な書類にモーラしてしまうことは可能ではないのか。
‥ひとつは『建築確認申請図書』
テナントは内装工事をするさい必ず、工事監理者(つまり私)の承認が必要だと。
‥あるいは、新たに締結しなければならないであろう『賃貸借契約書』
カレッドの糸屋くんに頼んで、1億円くらいの莫大な敷金を設定してもらうこと。
いづれにしても、少しオトナゲない作戦である。浦園に、簡単に論破されそうだな。
ただ、そもそも、なぜ『ひあら寿司』は、あんな条件を出してきたのだろう‥?
‥月に40万円。少なくとも家賃は遅れないですむ売上が、本当にあるのであろうか?
これまで何度も『コーポ・ゴトーダ』を見にきているが、今日のランチ時も含めて
昼間、あの『ひあら寿司』に客の出入があったところを見たことがない。
‥なぜ新店舗もあの場所なのか?この機会に他の店舗に移って営業してもよいはずだ。
‥あの異常に多い席数。あれほどの席数、本当に必要なのだろうか?
年度末の週末 華やぐ夕刻の商店街。
帰路 モヤモヤが頭からはなれない。
□6□
SANS_Vilaの103号室の螺旋階段、設置工事がようやく完了した。
今日は、設置を依頼したS_NETZ・曽根谷社長と共にオーナーの木下田光輝さんに
出来上がったばかりのこの螺旋階段を、現地で確認してもらう日だというのに‥。
『ひあら寿司』の弁護士・浦園聖子との交渉は、既に2ヶ月以上にもおよんでいた。
新店舗の費用1500万円の減額には頑として応じようとしない。交渉は袋小路だ‥。
「そうやって腕組みして考えこんでいるところ。やっぱ “先生”って感じですね。」
螺旋階段の支柱にもたれこみながら、曽根谷社長が話しかけてきた。
ベージュのジャケットに黒の革靴。IT起業家らしからぬ、フォーマルな出で立ちだ。
「ああ‥、失礼。でも見ての通り、“先生”ってガラじゃないですよ。
ところで、このボードの一流企業。全部、曽根谷社長のクライアント?凄いね。」
「へっへっ、“社長”というのもやめましょうよ。栂池さんっ!
サイトの管理と更新、アドバイスを少し。栂池さんとこのサイトも見てますよ。
それでこの物件決めたんです。螺旋階段もGood!決算に経費計上もできたし。」
「流石、ちゃっかりしてますね。でも、ありがとう。」
オーナーの木下田光輝さんが103号室に飛び込んできた。
いきなり、私と曽根谷さんの手を握りしめてきたのには、二人とも目を丸くした。
テナントの負担で、逆に建物の資産価値を上げてもらった、と考えているそうだ。
大家と店子。理想的な関係だ。
「いやぁ、ありがとう。
じつは昨日、工事の光森さんに、この螺旋階段は見せてもらっていたんですよ。
曽根谷さん、せっかく螺旋階段に費用かけてもらった分。長く居てくださいね。
栂池さん、シンプルなデザインで、この螺旋階段いいですね。」
「テナントさんが喜んでくだされば一番です。その結果としてオーナーさんもね。
ただ、どうしても狭くなるでしょ。曽根谷さん、スタッフの席とか大丈夫?」
「これからはリモートでの仕事も普通になるでしょ。
この事務所は、主に打ち合わせに使って、スタッフの席は減らそうかと‥」
「席」? 「席は減らそう‥」?
あ! そうか。 それだ!
□7□
事務所には昼一番に戻ってこれた。
間髪を入れず、秋元くんも来てくれた。
「なんすか?急に、MacBookを持って事務所に来てくれって。」
「すまん、すまん。『GT5プロジェクト』のことだ。もうすぐ建築確認提出だよね。
いま1階に『ひあら寿司』が入居できるスペースは計画してあるよね。広さは?」
「もちろん32.4m2ピッタリ。間口3.6m×奥行9.0m。上の住居と同じスパンです。」
「そこに寿司屋のレイアウト、してみてくれないか。今の店舗と比べてみたいんだ。」
「え‥それ『ひあら寿司』の仕事じゃないすか? おネーちゃん弁護士に言ったら?」
「ま。いいから、いいから。」
次に、オーナーの五藤田潤さんに電話を入れる。
「『コーポ・ゴトーダ』の図面、まだありますか。『ひあら寿司』に見せたことは?」
「図面は栂池さんにお渡ししたのが全部です。連中は存在も知らないと思いますよ。」
「万が一、おネーちゃん弁護士が、見せて。と来たら、処分したと言ってください。」
「わかりました。」
「現在計画中の図面もです。個人情報だということで、絶対に見せないでください。
それから、このさい、あのおネーちゃん弁護士の要求。全部のんじゃいましょう!」
「え! でも、どうして?」
「詳しいことは、明日ご説明に上がります。また3時でよろしいでしょうか。」
店舗設計は得意とあって、秋元くんのレイアウトは直ぐに出来上がった。
「いや、驚きました。計画している新店舗では、席数はこれが限界ですね。8席。」
「そう、同じ32.4m2の店舗でも現在の『ひあら寿司』は 間口4.5m×奥行7.2m。
かなり強引だけど、座敷の4人掛テーブルが4台。全部で22席作れてるんだ。
( ※ページ・トップの画像を。)
それでも、この8席の店舗計画でも経営が成立つお店は普通にあるだろうね。
美味しいラーメン屋さんとか、カレー屋さんとか、お昼時に行列ができるお店。
ただ、彼ら『ひあら寿司』の経営は無理だ。ビジネスモデルが成立しない。」
「どうして、ですか?」
「『ひあら寿司』の月40万円の売上。それ、どこから生まれると思う?
予約制の 宴会 からなんだよ。
会社やら町内会やら、お得意さんが近くにけっこういるんだろう。宴会ならば
客単価は高い。一人当たり6000円として、15人集まれば一晩で9万円の売上だ。
それが月に4、5回もあれば、月の売上の40万円くらいになる、というわけだ。
カウンター席のみ8席ってゆうんじゃ、まず宴会のニーズには合わないだろう。
ちなみに『ひあら寿司』で打合せをした後の夕方、もう一度前を通ってみたよ。
時節柄、花見の帰りか送別会か、貸切の札が掛かって大盛り上がりだったよ。」
「そうでしたか。」
「だから、普段は閑古鳥が鳴いていてもかまわない。ただ、相当の席数は必要だ。
彼らとしては、席数=広さなのだろう。それで32.4m2の店舗面積は譲れない。
私としては、お約束通り 32.4m2 の店舗はつくりましたよ。なにか?と。」
「『ひあら寿司』としては、出ていくっきゃないじゃないですか! やったあ!」
□8□
「‥という訳です。すでに計画の障害はありません。よかったですね。」
正面に座る、五藤田潤さん。
喜ばしい報告のはずが、うつむいている。
「すみません。ほんとうに、すみません。」
「どうされました?」
「あの『コーポ・ゴトーダ』のある127坪の土地、売却することにしました。」
「え! それは、またどうして?」
「建物ごとあの土地。幸吉開発さんから相場以上の金額提示されていたんです。
分譲マンションか、建売なのか‥。『GT5プロジェクト』は、ここまでです。
もちろん栂池先生には、設計作業は全て完了しているという前提で、報酬の
お支払いをさせていただくつもりです。そこは、ご心配なく。」
「‥いや、そんなことより。なぜ?
カレッドが専任で入る以上、もう悪質なテナントは入居してきませんよ。」
「ええ、それも理解はしておりますが。」
「たしかに、この『GT5プロジェクト』の実行には大きな借入が必要です。
だた、入居者の生活や仕事に貢献することで、皆さんも収益を得られる。
みんなが幸せになる。それが、受け継いだ土地を活用する、ということ
だと思ってます。」
「栂池さんの志には共感しているんですよ。
ただ、うちの両親が歳で、もう交渉ごとに疲れきっちゃってしまって‥。
空気のいいところに移住しようと思ってます。地元を離れるのは寂しいけど…」
もうこれ以上、何も言えない。
「お元気出で。」と言い残して、五藤田さん宅を後にした。
帰りがけ「コーポ・ゴトーダ」の前を通ってみた。
いつものように『ひあら寿司』は閉めらたままだ。
貸切の札が見えていら、衝動は抑えられなかったかもしれない。
今年は入りが早いとゆう 梅雨空の下。
肩をつぼめて 帰路につくことにした。
□あとがき□
「建築」をつくる。ということは「創作活動」でもあります。
まず「依頼」を受け、要望や条件をクリアさせて作品を完成させます。
出来上がった作品を喜んでいただけた時は、本当にありがたい。
ただ、自らの発想のみで 0からつくる。ということではありません。
友人が主宰する小劇団の舞台。観劇の記念に貰った台本がありました。
パラパラと見ながら、0からつくる。とは、どうゆうことだろうか‥。
真似事のように、こうして書いてみると、なかなかの労力であります。
それでも、架空の世界に身を委ねることは、じつに愉快でもあります。
前作。思いの外、沢山の方々に読んでいただいたようです。
お調子もの。いい気になって、続編をつくってみたところ。
長い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
岩間隆司