文豪・谷崎潤一郎による 『陰翳礼讃』(いんえいらいさん)
1933年。昭和の初期に著されたこの随筆は、建築家の必須科目のひとつと
言われつつも、恥ずかしながら、これまで通して読んだことがありません。
お正月には NHKのETVで「THE 陰翳礼讃 ~谷崎潤一郎と日本の美~」
という番組にも感動。この機に、きちんと向き合ってみることにしました。
陰影、そして陰影の中の仄かな灯の中に佇む美意識。
住居に限らず、食事や衣服、慣習。生活の中に潜む、そのさりげない美学は
現代であって、そこかしこに感じます。精神のDNAのようなのもでしょう。
ただ
独自の文化をもった「東洋」 と それを侵食せんとする「西洋」
美意識を大切にする「文化」 と 利便性のみを追求する「文明」
そんな対峙する関係が強調され過ぎているようで、違和感もありました。
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もし東洋に西洋とは全然別個の、独自の化学文明が発達していたならば、どんなにわれわれの社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか、と云うことを常に考えさせられるのである。たとえば、もしわれわれが、われわれ独自の物理学を有し、化学を有していたならば、それに基づく技術や工業もまた自ら別様の発展を遂げ、日用百般の機械でも、薬品でも、工芸品でも、もっとわれわれの国民性に合致するような物が生まれてはいなかったであろうか。
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たとえば、東洋の独自の文化のひとつに「禅」があります。
禅の思想に基づいた「枯山水」の日本庭園は、石や砂によって究極に簡素化
された表現により、自然の風景や宇宙までも象徴させたものです。
この禅の思想に大きな影響を受けた西洋人が、スティーブ・ジョブズです。
彼が作り出したスマートフォン・iPhoneの究極に簡素化された造形・操作性
は、まさに禅の思想によるものです。そのiPhoneは、いまや多くの日本人に
とって必須アイテムとなり、生活環境の一部にもなっています。
90年も前の谷崎が、この状況を見たらどう考えたでしょうか。
未来を予見するということは、かくも難しきことに思えます。
・・・
1988年。ベルリンの壁開放前のヨーロッパをひとり、旅をしました。
オランダのアムステルダムで、ヨスという若夫婦の家で数日を過ごしました。
普段は日本からの留学生が使っている一室での、今で言うところの民泊です。
夕方、彼らの家に戻り、部屋中の照明を付けていくとヨスに言われました。
「へい、タカシ。なんで家中の照明を付ける必要があるんだい?
僕も日本に行った時、みんなそうしているのに驚いた。変だよ。
灯はぼんやり、読書ができる程度に灯れば充分じゃないかい?」
たしかに、そのとおりだな。私は言葉がありませんでした。
アムステルダム国立美術館のレンブラントの『夜警』は、大きな絵画でした。
彼の多くの肖像画と同じく、陰影とそこに差し込む光の表現は、まさに圧巻。
そして1600年代に活躍したこの画家は、今もオランダの英雄でいるのです。
・・・
陰影の表現ということで、思い浮かぶことがもうひとつ。
これもまた、建築家としての必須科目のコンテンツです。
1982年公開。リドリー・スコット監督による『ブレードランナー』
酸性雨が降りしきる近未来のL.A. 逆光の照明を多用するR・スコット監督
の演出は、暗黒の都市の喧騒に、深みのあるリアリティーを与えています。
この作品による闇の表現方法は、その後 ジェームス・キャメロンばかりか
多くの映画監督に影響したのではないか、と私は考えています。
陰影とそこに潜む光への美意識。
東洋の独自のものではなく、元来 人間が持つ精神のDNAなのでしょう。
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